なべとびすこのなすべきこと

やってみたいをやってみよう。短歌を中心にいろんなことをやっている歌人のブログ。

一歌談欒企画vol.3 間違えて図書館を建てたい

またまた原井さんの「一歌談欒」企画に参加します。
この企画の詳細はこちら↓
http://dottoharai.hatenablog.com/entry/2016/12/07/221628

今回のお題はこちら。

この森で軍手を売って暮らしたい まちがえて図書館を建てたい(笹井宏之)

これ読んだとき、「おっ」と思った。すげえなあ。
でもよく考えると全然わからない。

「この森で軍手を売って暮らしたい」

この時点でもう難しくない?

町じゃなくて森。
しかも軍手…。

あ、でも軍手を日常的に使うのは町より森かも。
町で軍手使うのって雑草抜いたり掃除したりやけど、森で暮らす人は毎日軍手を使うんかな。ってことは森で軍手を売るのは、生活必需品を売ることかもしれん。
しかも軍手って手を「守る」もので、木を切る斧とかより優しい。
手袋ならファッション要素があるけど、軍手はやっぱり必需品やな。
そういうのを売るっていいよな。うんうん、みんなに必要とされてな。


間違えて図書館を建てたい


えっ。
話飛びすぎやろ。

私の友達に「てかさー」で完全に話を変える子がいて、何回も「お前、てかさーって付ければ何言ってもいいと思うなよ!」って言ってたけど、そのくらいの飛び方。


この森で軍手を売って暮らしたい、ってかさー、まちがえて図書館建てたくない?

みたいな。

1人の人間の思考回路に思えん。

A「この森で軍手を売って暮らしたいわ〜」
B「俺は間違えて図書館建てたいわ」


みたいな。
でも、これやと

「この森で軍手を売って暮らしたい」「まちがえて図書館を建てたい」

とかになるはず。
やっぱり普通に1人の思考と考えるべきやと思う。

なんで軍手を売りたい人が図書館を建てたいのか。

軍手が生活必需品なら、図書館はもっと娯楽とか知的好奇心とかの象徴な気がして、軍手と図書館の関連性がわからん。

図書館建てようとした時点で気付けよ。
土地とかおさえてるときに「これ軍手と関係なくない?」ってなれよ、「俺なんでこんな本集めてんの?」ってなれよ、ってか、なるやろ。

でも、作者の笹井さんが病に臥せっていた背景とかを考えて考慮してみる。


15歳の頃から身体表現性障害という難病で寝たきりになり日常生活もままならず、佐賀県立武雄高等学校を中退。(Wikipediaより)


ちょっとわかってきたかもしれん。

この歌を詠んだ人は、軍手を売って暮らすことも、図書館を建てることももう現世では叶わない。

思えば、軍手を売ってる内に図書館を建てるみたいな、全然関係もないような突拍子もない出来事がつながる時ってある。

文化祭でバンドとかやってたら彼女ができたとか、無理やりお見合いさせられて結婚したらベトナムに移住したとか、社内ニートで悩んでたら短歌詠むようになってカードゲーム作ったとか。
飛んでると言えば飛んでる。
「間違えて彼女作りたい」
「間違えてベトナムに住みたい」
「間違えてカードゲーム作りたい」

「間違えて」の5文字には、そんなドラマチックさが有る。
道を踏み外すことへの憧れ。
間違えてしまうことへの憧れ。
間違えたことに満足できることの憧れ。


軍手を売るより、図書館を建てるより、作者が一番望んでるのは、突拍子もない未来、ドラマチックな未来、想像もつかない数年後なんじゃないか。

変わらない日常、とか言っても、働いたり学校に行っていれば起きるかもしれないドラマ。
寝たきりで病院にいたら、そんなドラマは二度と起きないかも、という恐怖。そんなドラマが起きてほしいという願望。

それこそがこの歌の正体なんじゃないか。
絞り出した命の声なんじゃないか。

っていうのが一応の結論です。これまで意味わからんでもやもやしてたけど、ギリギリ着地しました。

これまで私は

軍手を売る
図書館を建てる

は全く関係ないという前提で話を進めてきたけど、もっと同じ文脈で解釈する人がいたら教えてほしい。

一歌談欒企画、ぜひご参加ください。