性別を間違えられる
自分のペンネームで検索したことありますか。エゴサーチってやつですね。私はTwitterではよくしていてけど、たまにgoogleでも検索してます。
で、googleで「なべとびすこ」で検索したら「なべとびすこ性別」「なべとびすこ女性」ってサジェストされるんですよ。
たぶん、「なべとびすこって男か女かわからんな」って思った人が「なべとびすこ性別」で検索して、満足いく答えが出なくて「なべとびすこ女性」で検索してるんやと思います。
ヤフーニュースで取り上げられたとき、「性別がわからん」みたいなコメントがあった。それ以外の容姿とか服装とか髪型への悪口も多くて、すぐに閉じたからそれ以上はわからない。
ややこしいので説明しておくと、私は子どもの頃から何回も男性に間違えられてきましたが、女性です。
ただ、男性に間違えられても仕方ないなって思っていて、単に自分が好きな服装が男性っぽいものだから仕方ないなって感じです。声も低いほうやと思う。
髪が短いのはショートカットの女性が好きだから自分もショートカットにしてるだけで、Tシャツとかパーカーばっかり着てるのはTシャツとかパーカーを着てる女性のほうが好きやから自分もそういう服を着てるだけで、それ以上でも以下でもない。
だって自分の好きな服を着るのは当たり前じゃないですか。
短歌で「僕」って書いてるのは、「私」にすると1文字多いからっていうのと、私が好きなthe pillowsの山中さわおさんが歌詞で「俺」じゃなくて「僕」って書いてたり、ハルカトミユキのハルカさんが曲の中で「僕」って書いてるからとか、そういう理由だけです。
「LGBTですか」って聞かれたり「LGBTの人と思いました」って言われたりするのも別に仕方ないと思ってて、そこで「いやいや!違うよ!!」と強く否定するのはLGBTの人にも失礼やけど、違うのに「そうです」って言う嘘は明らかにおかしいと思うから「よく間違えられるけど違うんですよ〜」ってやわらかめに言ったりしてる。
周りにLGBTで悩んでる人は何人もおったから差別意識はたぶんなくて(差別意識なんてだいたい隠れたものだから「たぶん」としか言えない)、間違えられたからって嫌じゃないけど、一応「違う」と伝えなければいけない煩わしさもあったり。
そもそも、男性と女性の見た目をなんで区分しないとあかんねんとか、女性だけなんで化粧しないとあかんねんヒール履かないとあかんねん結婚式で薄着じゃないとあかんねん、とかめちゃくちゃ思うけど、
男性側でも本当は化粧したいとかスカート履きたいとかあるんかもしれないですね。女性はスカートかズボンか選べるけど、男性はズボンだけってなんやねんとか。りゅうちぇるとか出てきて助かった人いっぱいおるんやろうな。
ただ、世の中で女性へのいろんな被害とか差別のニュースを見るたびに、女性側として怒りで腹わた煮え繰り返るような気持ちと、女性として見られなかったおかげで被害や差別に遭わずに生きてこれた自分のズルさみたいなものが一緒になって苦しくなる。
女性として見られないまま、可愛い女友達と一緒に遊んでると、知らんおじさんが可愛い友達にだけひたすら話しかけて私に話しかけてこなかったり(私から雑談に入っても無視される)、友達の前に私がいても私を押しのけて友達と話そうとする男がいたりもした。
それは私として嫌な感じを受けたけど、友達は友達で怖かったんやろうなって思う。
でも私の嫌な感じと友達の怖さは違う線の話な気がして、結局私は友達の怖さを理解しきれないし、友達も私の嫌な感じを理解しきれないかもしれない。
男性は私のことを女性として見ていない。だからこそ被害者にならずに済んだ。
でもむしろ、女性に見られていないせいで、人間として見られていないという瞬間もあった。
もちろん全員ではない。でも特に、仕事のできるタイプの男性には最初から見下されたような扱いを受けることが多かった。具体的な事例は何個もあげれるけど、思い出しただけでめちゃくちゃ腹が立つから書かない。
女性に見られていないから見下されたのか、本当に人間として見下されただけなのかもわからない。
女性として見られないなら、男友達ができるやん、男女の友情も成立するやんって思う人もいるかもしれないけど、とりあえず私には男性の友達が圧倒的に少ない。
大勢で楽しく会える人はいるけど、少数でじっくり話せる人はほとんどいない。
これは私が男性に対して苦手意識があるからかもしれないし、男性側の問題かもしれないし、ただの運かもしれないし、そもそもじっくり話せる友人なんか人生でそんなに多くないし、正直わからない。
私自身も女の友達といるほうが楽しい。でも、女性ばかりの場所が苦手っていう女性がいるのもわかる。女同士の面倒な揉め事っていうのはたしかに存在する。
私は女同士の面倒な揉め事にもほとんど巻き込まれなかった。恋愛も絡んだものなんかは全くない。
私が女性として見られていないことを女性側も共有しているおかげで、恋人にしたい男がいたときに絶対にバッティングしない(ライバルにならない)という安心感があるのかもしれない…って思うとこれまでの友情が打算的なものに思えてきて今めちゃくちゃ悲しくなったのでそんなことは絶対に否定したいけどわからない。
彼氏が欲しいみたいな話の流れで「スカート履けば」「髪伸ばせば」のアドバイスだけは明確に違うやろって言いたい。
でも、実際そのまま私に彼氏ができたら「ほら、スカート履かんでも彼氏できたやん」って言えるのに、言えないまま進んできたこの28年間にも腹が立つ。
性別を間違えられ続けた人生を、ずっとネタにしてきたし、ネタにできるほど自分にとっては瑣末なことだと思ってた。思い込もうとしてたのかもしれない。
ただ、ジェンダーのことが問題になるたびに、自分の立ち位置がわからなくなることはあった。
「同じ女性として」という言葉は私は使えない。女性として嫌な思いをしてなかったのに、そんな言葉は使えない。だからといって「同じ人間として」「同じ地球人として」とかもなんか違う気がするな。
「女性はみんなこういうのが好き」っていう言葉に共感できた試しもない。
でも男性になりたいわけでもない。女性を捨てたいわけでもない。
男性のなかに自分のなかの男性性を嫌ってる人もいるって知ったのは最近で、たぶんその感覚と自分はすごく近い気がした。
そういう男性が世の中にいるということを知っただけで、自分の悩みが少しだけ軽くなった気がした。
だから私と同じように、自分の立ち位置がわからなくなっている人がいるなら、自分のことも書いてみたいなと思った。
普段はこういう話はしないけど、これを書いてるときになぜかずっと泣きそうで、私は知らないうちにいろいろ傷ついてきたであろうことを理解した。
同じように傷ついた人がいれば共感してもらえたら嬉しいけど、多くの人は違うやろうから、その人は「そういう悩みを持つ人もおるんや」って思うだけでいい。
言いたいことがまとまらなくなってきたので短歌を載せて終わる。
躊躇なく「女」のほうに◯をつけるひびをスワイプし続ける日々/なべとびすこ
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