一歌談欒vol2. 理解できない人は下がって
3番線快速電車が通過します理解できない人は下がって(中澤系)
http://dottoharai.hatenablog.com/entry/2016/10/23/230413
今回も原井さんの一歌談欒企画によせるブログです。ちなみに今回の課題短歌は私が選びました。ということで、
3番線快速電車が通過します理解できない人は下がって(中澤系)
この歌。初めて見たときに、「うわ、なんかすごい」と思ったと同時に、「どういうこと?」という疑問も浮かんだ。
短歌を読んで「どういうこと?」ってなるのはけっこう多くて、そのままスルーしてしまう場合が多々あるけど、これは「なんかすごい」に引きずられて何回も読み直した。
3番線快速電車が通過しますマジ危ないから下がって
とかなら普通に意味がわかるけど「理解できない人は」を入れた途端意味がわからなくなる。
何を理解できないかっていうところがポイントで、読んだ当初の私はなんとなく「死への恐怖」とかかな〜と思ってた。
これだと逆に、死を怖れないひとは下がらなくても良い、ってことになる。なんとなく、そういう意味も悪くないかなと思う。
安易な自殺反対とかより、1つの選択肢として肯定するような歌かな、と思った。
それでもなんとなく腑に落ちなかった私(当時短歌を始めたばかり)は、インターネットやTwitterを使って歌の解釈を検索した。
そのなかでたまたま見つけた以下の感想が忘れられない。
(以下引用)
理解できない人は下がって は、理解できている人は「快速電車が通過します」だけで下がるし、理解できない人もとりあえずは下がれば、全員が下がるという歌と思いました。すごい!
えっ、これ正解じゃない?
ってなった。いや、短歌に正解とかないけど、ちゃんと意味は通る。
「電車にはねられれば死ぬから危ない」っていう事実とか常識を理解できてない/知らない人にも下がって欲しい、生きてて欲しいっていう歌。
ポジティブ。なんでこういう風に捉えなかったのかわからないくらい自分の中では腑に落ちてる。中澤系っていう歌人のイメージ(そんなに詳しくないけど)から難しく考えすぎてたのかなって気もする。
この感想がしっくり来すぎて、これ以上の解釈ができなくなってしまった。
誰にも死んでほしくないという願いとか、希望の歌に読める。
ということで今回はほかのみんなの感想を楽しみに待つことにします。
一歌談欒 vol.1 「具体的には日焼け止め」
おめんとか
具体的には日焼け止め
へやをでることはなにかつけること
(今橋愛)
.原井さんの「一歌談欒」企画に寄せるブログです。(概要はこちら→http://dottoharai.hatenablog.com/entry/2016/10/10/233037)
ひとつの課題短歌に対して、みんなが解釈や感想を書くという企画。
1つの歌のいろんな解釈が聞きたい、という思いは私も強かったので、タイトル考案など、裏でいろいろ手伝わせていただきました。
本題、この歌について。
部屋を出る=人前に出る際 私たちはたとえて言うなら「おめん」、具体的に言えば「日焼け止め」をつけて生きている、というような内容。
いいなと思うのはやっぱり具体例が「日焼け止め」であるところだと思う。音数的には、「具体的には化粧品」でも当てはまるけど、これだと急に台無しになる。
化粧の場合は「着飾る」「自分をよく見せる」「欠点を隠す(しわ、たるみ等)」など、さまざまな効果が含まれてしまう。しかも、化粧は男の人は共感しづらいかもしれないし、周りから「つけている」ことがわかるっていうのも特徴だと思う。
おめんから連想するのは通常、化粧のほうなんじゃないかと思う。顔を隠して、別の顔をつける。それも「部屋を出る」際には必要なことだ。
化粧に比べて日焼け止めは「日に焼けることを防ぐ」という一点のみの効能だ。攻撃ではなく防御、加点ではなく減点を最小限にとどめる感じが日焼け止めにはある。しかも、周りから日焼け止めをつけてることはわからない。
日焼け止めは具体的には「日に焼けることを防ぐもの」、逆にこの「日」っていうのを抽象的にひらけば、「眩しいもの」「力のあるもの」にならないだろうか。
日に焼けて黒くなるのは、眩しいものに染まって、自分の色が変わることとも取れる。
日が世界なのか、身近にいる明るい人なのかはわからないが、そのままの自分でいれば自分の色が変わってしまう。それを防ぐのは日焼け止めだ。だから部屋を出る際には、日焼け止めをつける。日焼け止めも万能じゃないから、あまりに日が強い時はどうしても色が変わる。でも、少しでも自分の色を守るためには日焼け止めが必要だ。
着飾るのでも、隠すのでもなく、日焼け止めで、守る。
そうしながら部屋を出るのは、ある意味「日に焼けても別にいいわ」って言って何もつけずにありのままで行く以上に気高い行為にも思える。
鍋ラボ in the 詩ty
東京にハルカトミユキの野音ライブを見に行きました。
せっかく東京に行くから、一泊してついでに歌会もやってしまおう、と思い、募集をかけたところ、8人集まったので歌会を開催しました。
テーマは「歌」で、参加者は短歌結社に所属している人から学生短歌会に所属している人から、詩をメインに活動してる人からラッパーまで、さまざまな人が集まりました。
以下が本日発表された短歌です。
いま(いま)別れのとき(とき)とかみ合わぬまま僕らはうたう/シュンイチ
いにしえの歌人の札を並べおきコンマ2秒で畳をはらう/太田青磁
会いたがりなわれをなだめて讃美歌の26番くちずさみおり/村上すみれ
ビニールの傘がぱたぱた鳴っているちゃんと淋しくなれるメロディ/かなめゆき
音漏れは街のやつらに届かずに僕らは歌を独り占めする/なべとびすこ
これは恋歌どうかわからないから受け取った君に任せる/桜望子
※ルビ 恋歌(こいか)
交差点いつかの面影重ねたらたしなめるように灯る赤信号/腐ってもみかん
誰にでもうたえるようなそれでいて口ずさむたび風が吹く歌/中本速
歌会が終わった後は短歌カードゲーム、ミソヒトサジで遊びました。
このゲーム、短歌を知ってる人でやるときと、それ以外のときとで楽しむポイントが少し違ってる気がしています。
たとえば。「句ミーティング」という、協力プレイで短歌を作るゲームがあるのですが、短歌の人たちのほうが「尖った」カードで歌を作る気がします。
カードが無くても短歌を詠んでる人は。無難にまとめる歌なら自分で作れるからかなーと思います。カードにしかできない組み合わせとか、普段使わない言葉のほうが使いたがるのかもしれない。
あと「五七五七七じゃなくて七五五七七の破調にして良いですか?」と質問してくるのはだいたい短歌やってる人な気がします。
短歌やってる人の方こそ、五七五七七に囚われすぎない感じかなー。
他にもいろいろ違いはあるものの、どちらの層にも確実に楽しんでもらえてるのは嬉しい限りですね。
関西以外でもいろいろ歌会したいですねー。楽しかったです。
ワークショップ「もしも短歌が作れたら」で作った小説と短歌
牛隆佑さんが毎月行っている短歌のワークショップ「もしも短歌が作れたら」で作った小説の冒頭と短歌を載せてみます。
改良の余地はありますが、即興のわりには良いものができたかなと思ってUPしてみます。
ワークショップではお題を引いて小説の冒頭を書きます(その前に短歌とは、の説明も少しあります)。
そして、その小説のフレーズを抜き出したりしながら短歌を作っていきます。
お題は「砂漠」と「鬼」
ということで、まず即興で作った小説↓
来年は砂漠で死ぬ。だから今年は南極で死ね、と言われた。山中は人の心を持っていないのだろうか。まるで鬼だ。毎年9月9日、僕は死ぬ。これで14回目だ。毎年1回の死と引き換えに、1年間の生を授かる。与えられた生は無敵で、銃で撃たれようと崖から落とされようと、僕は死なない。毎年1回は死んで、別の身体に生まれ変わる。赤子からやり直すのではなく、他人の魂に乗り移る感じだ。乗り移れば性格も変わるし、性別が変わることもある。新しい身体と心で1年を過ごしてから、毎年恒例の死を迎える。
ただ、南極で死ぬためには、9月9日の数日前には東京を出発しなければならない。寒さ対策も必要だ。1年間付き合ったこの身体で過ごす残り少ない日々を、南極への移動時間に使うなど馬鹿げている。
砂漠なら鳥取で済むが、南極だとそうはいかない。
「南極は勘弁してくれ。東京とは言わなくても、静岡くらいで死なせてほしい」と僕は言った。山中は鼻で笑う。
「死に場所を選べるなんて、お前いつからそんなにえらくなったんだ? ほとんどの人間は死に場所を選べない。命日を選べるだけ、お前は幸せなんだよ。」
そういうわけで、今年は南極で死ぬ。15年前に付き合っていた彼女の命日に、南極で死ぬ。
これを元に短歌を形成していきます。出てきたフレーズとかをどんどん取り出して、定型に収まるように改変していきます。
できた短歌はこちら↓
命日を選べるならば元日に 桑田の指図でみんなお祝い
砂漠なら鳥取で済むっていうか東京も砂漠だしどこでも砂漠
新しい身体で過ごす1日の終わりに無理に飲む缶ビール
一回の死と引き換えに授かった生かと思うほどの満月
死に場所を決めちゃいけない法律のせいでトイレで死んじゃった人
こういう感じです。作るのも、他の人の小説や短歌を見るのも楽しいのでぜひみなさん牛さんのワークショップに行ってみてください。
短歌カードゲーム「ミソヒトサジ」取扱店舗(2016/12/24現在)
五文字の言葉と七文字の言葉を組み合わせたり交換したりしながら、誰もが短歌を作れる短歌カードゲーム、ミソヒトサジ発売中です。
※ご報告 10/31現在※
おかげさまで初版が思っていた10倍くらいのスピードで売れてしまうというありがたい事態に陥っており、10月31日を以って、一旦私からの郵送による販売、新しい委託販売の依頼を中止します。
(今後予定しているイベントでの手売りは僅かですがいたします)
取扱店舗によれば、郵送での対応も可能ですので、お店に直接お問い合わせをお願いします。
今後の予定としては、早ければ2月の短歌チョップ、遅くても3月のゲームマーケットに向けて改訂版の販売を考えておりますので、今後の展開にご期待ください!
☆短歌カードゲーム ミソヒトサジが買えるお店→
葉ね文庫 (大阪 中崎町)←sold out!
リトルケイブ(東京 高円寺)←sold out!
Like a Lightning(兵庫 篠山)
大吉堂(大阪 我孫子町)←sold out!
富岡コーヒー(岡山県)
キウイゲームズ(大阪 恵比寿町)
ひがっちゲームズ(北田辺)
イエローサブマリン(全国各地に店舗あり。各店舗ごとの在庫はお店にご確認ください)←sold out!
ボードウォーク(岡山)←sold out!
☆短歌カードゲーム ミソヒトサジで遊べるお店→
デザートスプーン(谷町六丁目)
駒の時間(加古川)
賽翁(中崎町)
リトルケイブ(高円寺)
B-CAFE(姫路)
Like a Lightning(兵庫 篠山)
ひがっちゲームズ(北田辺)
です。
☆イベント販売実績
文学フリマ大阪
よろずまち一箱古本市
ZINE DAY OSAKA2016
☆今後のミソヒトサジ関連イベント
11/11(土)13時〜18時 ミソヒトサジ祭 (梅田 common bar singles)
11/20(日)ミソヒトサジワークショップ(岐阜 古今伝授の里フィールドミュージアム)
1/14(土) ワードゲーム祭@まちライブラリー(A'ワーク創造館)←New!
よろしくお願いします。
文学フリマのことやミソヒトサジのこと
お久しぶりの更新となります。
いろいろやってたのにブログにおこせず、申し訳ありません。
この夏、何をやっていたかと言いますと、9月18日の文学フリマ大阪にて、YUTRICKのブースを出店するため、入稿作業に追われていました。
YUTRICKブースでは以下の作品を出品しました。
☆YUTRICK展作品集(冊子)
☆文フリ記念ネプリ「文雄割拠」(無料頒布)
☆短歌/俳句/川柳トートバッグ
☆31SCREEN e.p
☆短歌カードゲーム「ミソヒトサジ」
☆深川青歌集「BLUE RULE」
以上の作品、委託販売できるお店を探しています。
「このお店置けそう!」とか、逆にお店の方から「置かせてください!」という声があれば良いなあと思いつつ、少しずつ営業をかけていきたいと思っています。
文学フリマでは本当にたくさんの方とお会いして、知ってる人にも知らない人にもたくさん買っていただきました。
音楽コラボの31SCREENやカードゲームのミソヒトサジは短歌を知らない層にも届いたと思うし、逆に短歌を求めてる人は作品集や青さんの歌集を買ってくれたような気がします。
嬉しいですね。
この中でなんといっても1番時間がかかったのが、短歌カードゲーム「ミソヒトサジ」。
すでにTwitter上で話題になっておりますが、改めて概要を説明させていただきます。
「ミソヒトサジ」は、5文字の言葉と7文字の言葉が書かれたカードを使って遊ぶカードゲームです。
☆特徴1
遊び方は無限大!
ひとつのゲームを買う、というよりは、トランプのようにたくさんの遊び方ができる、ひとつのパッケージと捉えていただけると嬉しいです。
現在初版の取扱説明書に掲載されているルールは3つ。これから少しずつ増やして行こうと思っています。
詳しいルールや動画も随時UPするのでお待ちください。
うたいちもんめ
句ミーティング
付句バトル
など
☆特徴2
無地カードでカスタマイズが可能!
ミソヒトサジは200枚入り。
5文字のカード(ゴローカード)、7文字のカード(ナナコカード)はそれぞれ100枚ですが、内20枚は、言葉の書かれていない無地カードとなっております。
カードはペンで書き込める素材なので、ペンや鉛筆、フリクションなどで好きな言葉を書くことができ、ポイントも自分で決めることができます。
なので、身内だけでウケる単語を入れるもよし、季語を入れて俳句でも遊べる仕様にするのもよし、です。好きに遊んでください。
発売1週間、短歌を知らない人にも広がっています。
Twitterで爆裂エゴサーチをかましていると、短歌を一首じゃなくて一句と数えたりしている人もよく見るけど、「間違ってますよ!」とか言うんじゃなくて、そういう人にもちゃんと広がってることを喜びたい。
最初は遊びでもいいから、短歌に触れる1つのきっかけになってくれれば嬉しいです。
そのうちの一人がいつか、カードの言葉だけじゃ足りなくなって、無地カードも使い切って、自分の言葉で短歌を作り出したときが本当の始まりだと思います。
これまでもいろんなところで言っていますが、私が初めて歌集を買った場所はハルカトミユキのライブの物販で、いわゆる本屋じゃないところで短歌を買ったんですよね。
だからこそ今も短歌のフォーマットに囚われすぎずに活動してると思ってます。
ライブハウスで歌集を手に取ったように、ボードゲームショップで短歌のカードゲームを買ったっていいと思う。カードゲームをきっかけに短歌を始めたっていいと思う。
私がやってる色んなことって、場合によってはふざけてるように見えてるかもしれないけど、根本はずっと一緒で、「辛いときに短歌が必要な人が絶対いて、その人に短歌を届けたい」ってことなんです。
でも、本当に辛いときは、新しい趣味なんて始める余裕なんか無かったりするから、そのときのために短歌に一度触れておいてもらいたいんですよね。
誰にも言えないことを吐き出せるのが短歌の良さやと思うし、短い言葉に濃縮することで自分の心の本質を見つめられるのが短歌やと思います。
最近私はあんまり短歌を詠めてなかったりしたけど、今回カードゲームを作って色んな人が遊んでるのを見たら、そういうことを思い出しました。
文学フリマに来ない層に、本屋に来ない層に、どこまて短歌を届けられるか。それが自分が今、1番やりたいことなのかなあと思っています。
歌会たかまがはら6月号、B.R.W.S paradeのこと
こんばんは。
なべとびすこです。
先日、歌会たかまがはら6月号のゲストに呼んでいただき、公開収録をしてきました。
歌会たかまがはらは
Ustreamを使い、N○Kのラジオで放送している某夜はぷちぷちする短歌の番組のように皆様の短歌をご紹介する番組です。
(
)
と言っても、私は短歌を始めて2年なので、「夜はぷちぷちする短歌の番組」も実は噂にしか聞いていないんですけど、とにかく、お題に対して短歌を応募していただいて、それをゲスト(今回は私)が選んで紹介する、というものです。
今回、「大人」というお題を出したところ、全183首の短歌が集まりました。
私と司会のうずめさんが選んだ短歌は後ほどたかまがはらのブログに掲載されると思いますが、とにかく、量が多い中から短歌を選ぶ、ということをあんまりしたことがなかったので良い経験になりました。
1回目ザーッと流すように見て、2回目は精読して、という風にやってみたんですが、光ってる短歌は1回目から光っているように見えました。
(光ってるっていうか、単に私の好みですが)
一発でわかる!というよりは、「なんか気になる」って感じで、2回目見る時にしっかり読みたくなる、という感じでした。
っていうのを何回も繰り返して選んでいきました。
自分が出す時も、そういう風にたくさんの短歌の中で光っていないといけないんだろうなーと痛感しました。
あと、Ustreamで1時間話すっていうのもなかなかない経験なので楽しかったです。2月にネットラジオに呼ばれた時よりはリラックスして話せたかな…。
あと「ゲスト」って響きがいいですよね…いろんなところに呼んでほしいです。実力つけないとね。
ということで、「ゲスト」って響きもいいですけど、「講師」って響きもいいですよね!
先週は「B.R.W.S parade」というワークショップイベントで、短歌講師としてお話とワークショップをしてきました。
イベント概要→
このレポートは次のブログでしっかり書きます。(ワークショップで作った短歌なども紹介したいので)
先日は私一人で講師を行ったのですが、6月26日(日)18時〜は歌人の天野慶さんが講師となって短歌講座を行います!
私もアシスタントとして頑張りますので、ぜひ来てくださいー!
申し込みはこちら→
前回のブログで告知した「日本茶×短歌企画」は6月25日(土)です!
こちらもお待ちしております!!